この連載では、「つながる」という言葉を手がかりに、住まいや日々の営みを大切にしている人たちにお話をうかがっていきます。登場するのは、ものづくりに向き合う方や、食に携わる方など、それぞれの道を歩みながら、自分らしい暮らしを育てている人たち。聞き手は、これまで暮らしに関する雑誌や本を多数手がけてきた編集者・小林孝延さんです。
自分の住まいと、誰かとのつながり。自然とのつながり。家族とのつながり。小さな工夫やまなざしから見えてくる、豊かさのヒントをお届けします。
薬草園の記憶をもつ場所で営む家族の暮らし



ご夫婦にふたりの娘さん、1匹の犬に2匹の猫。そんな家族が暮らす家と聞いて、どんな姿をイメージします? はじめてお宅をたずねた人は、門に到着した時点で、きっとだれもが「ここ? 本当に?」と、不思議な気持ちになるはず。3年ほど前、当時つくっていた雑誌の取材ではじめて「mitosaya薬草園蒸留所」にお邪魔したとき、何を隠そう僕もそう思いました(笑)。まるで学校の入り口みたいな門の前に立っても、わっさりと茂った緑の向こうに見えるのは、円塔のてっぺんだけなのですから。
江口宏志さんと山本祐布子(ゆうこ)さんご夫妻と娘さんたちが暮らし、仕事場でもあるこの場所は、房総半島のおへそあたり、大多喜町にあります。
個人のお宅としてはまったく規格外に広い庭園、家らしからぬたたずまいの建物、そしてそれらを包むように茂る圧倒的に豊かな植物。
規格外に広い庭園のわけは、ここが以前、長い歴史をもつ薬草園だったから。昭和の時代に生まれた公営薬草園をルーツに、2015年に閉園を迎えるまで、大学の研究施設として運営されていたそうです。
というわけで、庭園の植物は当時の区分で植栽されたまま、名前を記したプレートや案内板もそのままに、薬草園だったころの面影を色濃く残しています。江口さんがこの場所を受け継いだのは、南ドイツの蒸留所で技術を学び、帰国したのちのことだそう。なんと、たまたますすめられて口にした蒸留酒に心を掴まれ、一家でドイツに渡るまではアートブックを中心にセレクトした本屋さんを営んでいたというのですから驚きです......が、そのおもしろそうなお話はまたの機会にしましょうか。
自然からもらったインスピレーションを形にしてだれかに渡すこと



「ここに来たのは8年前?9年前かな。お酒の製造自体は街の中でもできますが、原料となる自然のものが身近にあって、それらを育てられて、いい生産者さんが周りにいて......できれば、つくる場所と生活の場所が限りなく一緒になれる場所。そして必要なのは"物語"。そこに物語があり、僕たちが繋いでいけるような場所を求めていました。日本全国を探して、ここなら敷地内で栽培する薬草やハーブ、果樹もある。何より、長く薬草園だったという物語があります(江口さん)」。
南ドイツで学んだ「オー・ド・ヴィー」と呼ばれるお酒は、さまざまな植物を醸造して蒸留したお酒で、「命の水」と称されているそうです。だとすると、命を助ける薬草に囲まれたこの場所が、まるで江口さんたちを呼んだような気すらします。
ちなみに「mitosaya」は「実と莢(さや)」。土の中の種が芽吹いて花をつけ、実を結んで地面に落ちるという自然のプロセスからインスピレーションを受けたものづくりを表しているそうです。素敵な屋号ですよね。
「この木の花ってこんなにきれいなんだ、こんなにいい香りがするんだと気づいたら、その小さな発見を形にして表現したい。そうやって形になったものは自分だけのものではありません。どこかに渡すみたいな、だれかに繋ぐようなイメージですね。mitosayaという名前をつけた以上、この場所と自分のやれる役割みたいなものがくっついて、自分の生業(なりわい)になっていくのがいいな、と思っています。僕は蒸留家なのでお酒という表現になるのですが、祐布子はまたちがう形で(江口さん)」。
アルコールを含まないドリンクやフードを担当するのは祐布子さん。もしかしたら、はじめましての方もいらっしゃるかもしれないので補足すると、祐布子さんは、ずっと第一線で活躍しているイラストレーターさん。雑誌や本のお仕事はもちろん、パッケージ、プロダクト、テキスタイルデザインなどアートワーク全般を数えきれないほど手掛けています。とくに植物をモチーフにした作品は、静けさと美しさをたたえながら、でもあたたかさのある図案で、自然と暮らしをやさしく結んでくれるようでたくさんのファンがいるのです。
表現方法が変わっても、コアな部分は変わらない



「ここに一家で越してきたときは、江口さんの仕事を手伝いながら、これまでどおり自分の仕事をやっていこうと思っていたのですが、目の前のことをひとつひとつやっていたら、いつのまにか食品加工は私の担当になり、4年前からは庭の手入れもやるようになりました(祐布子さん)」。
引っ越し当初は「見事な荒れ放題!」だったという庭は「雑草を引っぺがして引っぺがした数年間(祐布子さん)」を経て、かつての面影を取り戻しつつ、祐布子さんが新たに植えたハーブや野菜も加わって今の姿になったそう。庭で育てているのは植物だけでなく、元気なにわとりたちも。にぎやかにクッククックとおしゃべりしています。
「もちろん今もイラストレーターとして絵の仕事もやってますが、江口さんよりも私のほうが転身しちゃった感じかもしれませんね(祐布子さん)」。
転身というより拡張したようにも感じます。外側からだと本からお酒へ、イラストから食品へと別世界へポンと飛び込んだようにも見えますが、実は、それまでしてきたことと根本的なとこではつながっているような。
「ほんとに。最近になってふたりで話すのですが、コアな部分は人間ってそんなに変わらないんだねって。江口さんには江口さんがやれることがあり、私には私がやれることがあり、肩書が変わっても、好きなことは変わらないし、やっていることは結局やっぱりものづくり。江口さんは何かをはじめるのが好きなんだよね(祐布子さん)」。
「うん、好き。そして飽きっぽい(笑)。なので、そこをいかに汲んで興味を持ち続けられる環境にするか仕組みを考えるのが楽しいんです。いろいろなものに巻き込まれながら生きています(江口さん)」。
いやいや、「巻き込まれ」とおっしゃいますが、お話を聞いていると、巻き込んでもいらっしゃるような印象です。地域とのつながりとか。
「このあたりは作物の種類がとても多いので、いろいろな生産者さんとつながりが生まれてありがたい。いちばん多く採れるのは梨かな。梨の量はなかなかですよ。『落花生もお酒になる?』『やってみましょうか』みたいな会話から生まれるものも多いし、あと最近は、これまでは少しだけ栽培していた作物を、僕らが何かに使うならば、と、栽培量を増やしてくれる生産者さんもいます(江口さん)」。
たとえばサトウキビや食用バラの花。使ってくれるなら栽培量を増やせる→江口さんがお酒に使う、祐布子さんがジャムに使う→みんながおいしい! ほら、巻き込んでますよね。
既存の建物をmitosaya仕様、家族の暮らし仕様に大胆リノベ



敷地内にはいくつも建物があり、どれももともと使われていたものをmitosaya仕様にリノベーションしています(現在進行形)。資料館は蒸留所へ、ポンプ小屋はイートインスペースを設けたセンス抜群の販売スタンドなどなど。どれをとっても「もとは〇〇でね、こんなふうにリノベーションしてね......」という物語があっておもしろい。が、そろそろ住まいのお話を聞かないと(笑)。
ステンドグラスの丸窓が印象的な円柱型の建物が一家の住居です。薬草園時代は学生の研修棟だったそうで、江口さんの手による曲線が素敵な木製の玄関扉(じつは内側に前身のガラス扉あり)を開けると、こじんまりとした吹き抜けのホールが。その奥が、まるで理科室のような雰囲気のオフィスと倉庫、祐布子さんのアトリエスペース。
下部のデッドスペースを愛犬ムギさんの寝床とピアノ置き場にした階段前でスリッパに履き替え、江口さん渾身の本棚を眺めながらトントンとのぼると、陽がたっぷりと差すリビングとキッチン、家族の居室。
室内の壁と天井は、構造のコンクリートがラフなタッチでむき出しになっていて、それがなんともおしゃれに見えます。
「そう見ておいてください(笑)。友人の建築家と一緒にアイデアを考えながら、自分と仲間で壁、天井、床、もとのものは全部はがしました。昔、ある建築家と一緒に本をつくったとき、その方が『壁をはがしたら昔の痕跡や汚い部分が絶対出てくる。でも、そこを塗ってきれいにすると、ほかの汚い部分が気になってしまってきりがない。だから塗ったら負け』と言っていたことを思い出して気にしないことにしました(江口さん)」。
そうしたリノベーションは祐布子さんもご一緒に?
「壁とか床とか固いところ(笑)は江口さん、照明や家具、ディスプレイするインテリアなどソフトの部分は私の担当で。決め事ではなく自然とそうなりました。でもインテリアもいいんだけど、今はそれよりもたとえば庭の花を摘んで飾るとか、収穫したものを料理するとか、外とつながる暮らしみたいな"あり方"を楽しむようになりました。都会育ちなので前から庭のある生活に憧れがあって、それは実現できているのかな。こんなにでっかくなくてもよかったけど(笑)(祐布子さん)」。
唯一ふたりの感性が入り混じる空間の豊かなひととき



庭の花とドライハーブに「今日は蒸し暑いのでフレッシュのハッカを摘んで足したの(祐布子さん)」というアールグレイティーをいただきながらお話を聞きます。
3年前にお邪魔したときにも感じましたが、改めて、この生活空間の隅々までおふたりの美意識が行き渡っていることに感動しながら、お茶をひと口。ハッカの清涼感にすうっと汗が引くようです。
おふたりは普段から一緒にこんな香り高いお茶を楽しんだり、くつろいだ時間をすごしたりしているのでしょうね。
「私たちは普段からお互いの領域にはまったく干渉しないんですよ。江口さんは飽きっぽいけど柔軟な発想の人だし不規則な動きが多い。私は"鉄筋のルーティン人間"で、ルーティンを守るために生きている(笑)、だから生活リズムも全然ちがいます。起きる時間と朝ごはん、あと昼ごはんはここで顔を合わせて共有することが多いかな。もしかしたらこのリビングが、いろいろな意味で唯一ふたりが入り混じる場所かもしれません(祐布子さん)」。
リビングで印象的なのは、無骨さがかっこいい幅広のキッチン台や、時を経ていい味が出たテーブルに収納棚。それらが祐布子さんの選び抜いたキッチンツールやオブジェと調和して、甘口すぎないニュアンスを醸しています。窓から見える風景ともなんだかとっても馴染みがいい。ただし、その雰囲気は目指したものというよりは、江口さんいわく「苦肉の策の面もある」そうで。そのわけは、建物の中にそっくりそのまま残っていた什器や道具、膨大な資料。
「はじめは不要なものや撤去した建材は処分していましたが、なんだか捨てることが嫌になり、いかに捨てずに済むかという発想に切り替えました。そもそもの用途はいったん忘れて使えるものは使おうと。DIYは好きだけど得意ではないです。だからよく見てはいけません(笑)(江口さん)」。
幅広のキッチン台は、もとは実験器具や書類を収めていた堅牢なキャビネットだったものをズバッと上下に分けた下半分(上半分は窓際に)。給湯室を改装した水回りスペースに置いた食器棚も、資料用キャビネットだったもの。てっきりヴィンテージの水屋箪笥かと思いました。もちろん江口さんと仲間の手によるDIY。住居棟にもほかの建物にも、そんな、あっと驚く転身を遂げたものたちが、第二のお役目を全うしています。
あっ、ユニークな転身を遂げたものたちが違和感なくそれぞれの場所に馴染み、調和している秘密がわかった気が。それは受け継いだ時点でナチュラルヴィンテージ加工? 天然エイジングともいえる"時の仕事"が施されているから。場所だけでなく時もまた、江口さんたちが受け継いだものなのですね。
時を受け継いで物語とつながり、庭とつながる、江口さんと祐布子さんの暮らし。広さこそ規格外ではありますが、目の前にあること、自分のやれることに丁寧に向き合う等身大のあり方が、とっても印象的でした。
と、ここで話を締めたいところですが、どうも江口さんと祐布子さんの素敵さを言い残している気がしてなりません。実は、「自然から得たものを使っていろいろな人に伝わるような表現を」と真剣な口調で話す江口さんは、ふと小首をかしげて「いいのかなあ、それで(笑)」と、自問するユニークな方。「苦肉の策」のリノベーションのお話も、偶然を味方にして不便を楽しみ、完璧を目指さない力加減が、人が巻き込まれたくなる余白を生んでいるのかも。
祐布子さんも祐布子さんで。
お茶をいただきながらもうひとつ、「暮らしの中で大切にしていることは?」と尋ねました。なんだと思います? 僕は、ふわっと素敵で観念的な言葉をなんとなく想像していたのですが、祐布子さんの答えはきっぱり「清潔に保つということ」でした。
「片づける、掃除する。食品をつくる場所なので何より清潔であることが大切。できていない部分もあるけど、いちばんに心掛けています(祐布子さん)」。
なんと明確で清々しい。鉄筋のルーティンもそうですが、大切にしているものがふわっとした観念ではなくリアルなアクション。祐布子さんのハンサムな一面がちらり、でした。
あと、これはどうしても。祐布子さんが庭から摘んだばかりの葉物野菜とエディブルフラワー(ナスタチウム!食べられるんだ)をシンプルなサラダにしてくれたのですが、そのみずみずしい風味といったら。このうえなく豊かなごちそうでした。おいしかった!
インタビュー後記


自然と人、過去と現在、仕事と暮らし。さまざまなものがやさしく「つながる」場所。それがmitosaya薬草園蒸留所でした。植物の息づかいを感じながら、自分にできることを誠実に形にする。そんな日々の積み重ねが、この場に豊かさと物語を生み出しています。肩書きにとらわれず、自分らしい表現を見つけていく生き方も今の時代らしくてとっても共感。そしてふたりの暮らしから見えてきたのは住まいのあり方とはどうあるべきなのか、ということ。古い建物や道具を活かし、未完成を楽しみながら「暮らしながら育てていく家」。家づくりって結局はその人の生き方。2人の場合は素敵なインテリアを目指すとか、そういうことじゃなくて、自分たちのまわりにあるものを生かしながら、好きなものにつなげていくこと。そんな視点はこれから家づくりを考えるひとたちへの大きなヒントになる気がしました。
フォトギャラリー
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mitosaya薬草園蒸留所代表 江口 宏志
南ドイツの蒸留所「Stählemühle(スティーレミューレ)」で蒸留家クリストフ・ケラー氏の元、蒸留技術を学び2016年に帰国。前身はセレクトブックショップ「UTRECHT(ユトレヒト)」「THE TOKYO ART BOOK FAIR」代表。

イラストレーター 山本 祐布子
mitosayaではボタニカルプロダクトの開発や、ジャムやお茶、調味料といったフード、シロップやドリンクなど季節の恵みを閉じ込めた加工品全般に携わる。庭や温室の管理も担当している。
mitosaya薬草園蒸留所
薬草園だった施設を改修し、敷地内で栽培している植物と日本全国の優れた果実などを原料に用いた蒸留酒「オー・ド・ヴィー」の蒸留所として2018年に酒造免許を取得。2019年のファーストリリース以来、約200種類の革新的な蒸留酒を提案している。毎週末に誰でも庭園を散策できる公開日を設け、各地のパン屋さんから届くパンの販売や人やものとつながれるコラボイベントなども開催している。
公式HP:mitosaya薬草園蒸留所

企画・インタビュー 小林 孝延
編集者・文筆家。ライフスタイル誌、女性誌の編集長を歴任。暮らしまわりの書籍を多数プロデュース。出版社役員を経て現在は株式会社「イン-ヤン」代表。連載「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)、「真夜中のパリから、夜明け前の東京へ」(集英社よみタイ)ほか。著書に「妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした」(風鳴舎)がある。
Instagram:@takanobu_koba
構成:みやざき しょうこ
写真:馬場 わかな