ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。 「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターた ちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか、「仕事術」をテーマにインタビューを行うシリーズを2022年3月にスタートした。彼らの「仕事術」とはどのようなものか? 読者それぞれの仕事に置き換えてみる、そんなきっかけになればと考えている。
連載第六回となる今回は、建築家の山田紗子(やまだすずこ)氏にご登場いただいた。女性では、第三回でインタビューしたトミトアーキテクチャ(tomito architecture)を率いる冨永美保氏に続く二人目となる。
山田氏は1984年東京生まれ。慶應義塾大学を卒業後、藤本壮介建築設計事務所に入所。住宅設計などを経験したあと、退所して東京芸術大学大学院に進学。2013年に自身の事務所を構え、2020年には、両親同居で一家五人が暮らすために都内に建てた自邸《daita2019》が評価され、第三十六回吉岡賞(主催:新建築社)を受賞している。2025年春に開幕予定の「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」では、若手建築家を対象としたコンペティションを勝ち抜き、会場内に4箇所設置される休憩所の1つを設計する。
と、あえて輝かしいプロフィールを列記してみた。だが本人は「学生の頃は建築家になるとは思ってもみなかった」というから驚きだ。藤本壮介氏の事務所に入ったときは、スチレンボードで白模型はつくることができても設計図は引けず、周囲を驚かせた。
現在、東京・神楽坂に構える山田氏の事務所では、8名の所員と学生インターンらが働いている。以前は印刷所だった4階建ての古いビルの一角で、インタビューを行った。
いま目の前にある仕事をいかにおもしろくするか
ー師事されていた藤本壮介さんの事務所も以前、この近くにあって、そちらも旧印刷所でしたね。北側に書籍の取次業社があり、製本所や印刷所が多いエリアです。ここに事務所を構えた決め手はなんだったのですか。
山田紗子 世田谷にある自宅(作品名:daita2019)から1時間以内で通うことができて、模型をつくったり置いたりする広さが必要でした。昨今、本や雑誌の紙媒体がどんどん少なくなっていて、この界隈に昔から多かった製本所や印刷所がどんどん空き家になってしまっているのです。数年以内に取り壊し予定の建物は家賃が下がっていて、神楽坂のまちは、私たちのような建築・デザイン事務所やギャラリーなどが増えています。
ー進行中のプロジェクトは今、どんなものがあるのですか。
山田 新築では万博の休憩所と、住宅が2つ。ギャラリーや集合住宅、牧場のプロジェクトがあります。そのほかは提出を準備中のコンペですね。
ー牧場?! それはどのようなプロジェクトなのですか?
山田 阿蘇山と湯布院のあいだ、大分県九重町にある、くじゅう連山という高地の牧場のリニューアルです。ビジターセンターの改修のほか、飼育している羊とかヤギとか馬とかウサギたちの生息域を考えて分けつつ、動物舎を建てる。道や柵などのランドスケープもデザインしています。牧場としては小規模なのですが、大自然に囲まれ、温泉もあって、1日中いられるような場所です。規定が厳しい国立公園のエリアから外れているため、わりと自由に設計することができています。完成予定は2025年です。
ーどのような経緯で参画が決まったのですか?
山田 九重町のまちづくりに関わっている方からの依頼でした。基本的なブランディングやトータルデザインを先方がやり、私たちは建築家として空間づくりを彼らと一緒にやっています。このときもそうだったと思うのですが、私たちへの依頼は事務所のホームページをご覧になって、というケースが多いように思います。それと、何か1つ、メディアなどに紹介されたりすると、同じタイプの依頼が続きますね。例えば、展覧会の会場デザインを担当するとその後も続いたり、遊具[*1]のデザインをやってみたら同じようなプロジェクトが続いたりします。
ー成果に対するリアクションでクライアントとつながるケースが多いのですね。
山田 そうですね。今日のインタビューのレジュメに「仕事を獲得するための戦略」という問いがありましたが、特に力を入れてこれをやっているというのは実はありません。ただ、今やってる目の前のプロジェクトをいかに魅力的にしていくかということは常に考えています。それによって、次の仕事につながるかどうかも決まってくるのではないかなと思います。
建築家・山田紗子に施主が求めるもの
ーご自宅を含めて山田さんはいくつかの住宅設計を手がけていますが、住宅プロジェクトの施主あるいは施主候補の方々はどんな方が多いのですか。
山田 年代は30代から40代前半ぐらい。土地をすでに取得している方もいますが、一緒に候補地を見に行ってほしいという依頼もあります。まずはお会いして、お話を聞くのですが、「あまりこちらから要望を言いすぎてもいけないので、自由に作ってください」と言われることが多いです。
ーそれはそれで大変そうですね。どのようなことを期待されているとご自身では感じていますか。
山田 一般的な○LDKという型にはまらない、自分たちらしい家をつくってほしいといったご依頼を受けることが多いですね。お施主さんの方がいろいろな建築をご存知で、あれやこれやいろいろ調べて、巡り巡ってうちの事務所にたどり着いているような。いわゆる普通の家では満足できない方が多いかなと感じています。 ただ、私たちの事務所は、先方の要望を全て叶えるために力を尽くすというよりは、施主が想像していないけれど、きっとその家族に合う新しい生活像を提案したいと思っています。それは特別なものですが、唐突ではなく、大きな建築の潮流の中に新しいなにかを1つを置く、そんなイメージで仕事に取り組んでいます。先方の期待と乖離していてはいけないので、そのことは最初の段階でお伝えするようにはしています。
施主として二世代同居の自邸を建てる
ー山田さんは数年前に自邸《daita2019》を設計していて、施主としての立場も経験済みです。かつ、この作品で第三十六回吉岡賞などを受賞しています。パッと見でどこか秘密基地のような個性的な外観をしている自邸を建てたのは、どのような経緯だったのでしょうか。
山田
子供が産まれた年に、私の両親から「一緒に住まないか」という打診がありました。父も母もそれぞれで自分の仕事をもっているのですが、母が「あなた、好きなことしたいんでしょ、子供の面倒は一緒にみるから」と言ってくれた。それまでは東新宿に住んでいたのですが、家賃も高いし、家族五人、二世代で一緒に住むことにしました。
あの頃はマンションのリノベーションが流行っていて、私もやってみたいなと、最初は中古マンションで探していました。でも、必要な広さと庶民的な予算、私の通勤といった諸条件に合う物件がなかなかなくて。広さはあっても要らない設備やサービスが付いていて管理費がとんでもなく高かったり。そのうちに中古で見つからないなら戸建ての新築にしようと、途中で方向転換して、そこからまた1年くらいかけて土地を探しました。
ー施主として初動の苦労を味わったのですね。条件以外に、良い・悪いの決め手となることはありましたか?
山田
10年・20年後にそこで家族一緒に暮らしているイメージが沸いてくるかどうか、でした。私たち夫婦、両親と大人が四人もいれば、それぞれの希望がいろいろとあり、次第に探すことに疲れてしまい(笑)、諦めかけたタイミングで、世田谷区内でポンと売りに出たこの変形地に巡り遭うことができたのです。物件探しの初動から2019年の竣工まで3年ほどかかりました。