ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。
「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターたちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか、「仕事術」をテーマにインタビューを行うシリーズを2022年3月にスタートした。
彼らの「仕事術」とはどのようなものか? 読者それぞれの仕事に置き換えてみる、そんなきっかけになればと考えている。

都市デザイナーの三文字昌也、建築家の中山陽介、料理人の豊田健の三氏が率いる事務所・流動商店へのインタビューの後編。
これまで、大小さまざまな既存建物の改修設計だけでなく、施工も手がけ、場づくりのためのワークショップも仕掛ける彼らは、設計事務所という表記ではあてはまらないユニットである。三つの職能は複合的に絡み合い、それが流動商店の 強みとなっている。
インタビューの前編では、流動商店という個性的な事務所名の由来にはじまり、三氏の専門領域などを確認。福井県東尋坊で進行中の大型再生事業について話を聞いた。後半では、彼らのバックボーンや、最新のプロジェクト、今後の展望に ついて話を聞いていく。そこからは、流動する空間づくりで大事にしていることなどが見えてくる。

インタビュー前編はこちら

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都内にある事務所・流動工房でインタビューに応じる中山陽介氏(左)と三文字昌也氏(右) ※豊田健氏は海外渡航中で不在

高校生で建築家を目指した中山さん

中山さんが建築家になろうと思ったきっかけは何だったのですか。

中山 僕は東京工業大学の附属高校に通っていたのですが、塚本由晴さんが講義をしにきてくださっていた。そこで建築家ってかっこいいなと思い、志すようになりました。

ー高校生の時とは早いですね。でも、大学は東工大ではなく千葉工業大学に進学された。

中山 僕は高校のときサッカーばっかりしていて(笑)、付属でも上にいくのはけっこう難しい学校だったんです。それと、東工大の学風とは違うところで勉強したくなり、千葉工大を受験して、大学院では建築家の遠藤政樹先生に師事しました。それからしだいに環境と建築の関係性について関心をもつようになり・・・。

ー環境に興味をもったきっかけはなんだったのですか。

中山 二十歳くらいの頃に、ブルーノ・ラトゥール (Bruno Latour、1947-2022)というフランスの哲学者が書いた『虚構近代』を読んだのがきっかけですね。
ラトゥールが2016年に来日して、東京藝術大学でやった講演会を聴きに行ったら、そこで、千葉工業大学の今村創平先生に偶然会って、日本建築学会の小委員会でラトゥールのこととか議論しているから、興味があったら来てみないかと勧められまして。行ってみたら、主査が塚本さんでした。前の僕のボスの能作文徳さんと常山未央さんも参加していて、そこでいろいろな話を聞かせてもらいました。そこから自分でも勉強して、修士設計で下諏訪町の旧リハビリ施設をサイトに選び、そこで三文字と知り合い、今に至るという経緯になります。

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下諏訪町の旧リハビリ施設改修計画をつくる経験をまとめあげた、中山氏の修士設計作品「滲み会うアンビエンス」より

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中山氏の修士設計作品「滲み会うアンビエンス」より

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中山氏の修士設計作品「滲み会うアンビエンス」より

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インタビューに応じる中山陽介氏

三文字さんが都市デザイナーを目指したきっかけ

三文字さんが都市デザインの道を志したきっかけは何だったのですか。

三文字 私はもともとグラフィック含めたデザインが好きで、デザインをやりたいなとは思ってました。旅行が好きで、都市にも興味がありました。

ーなぜそこで東大に?

三文字 どうしてでしょうねぇ。東大が魅力的だったのは、学部の1、2年生はみんな教養学部に入り、専門が分かれないこと。2年生の終わり頃になって何を専攻しようかと考える。ふつうは大学受験の18歳の時に自分が将来、何を専門でやっていこうかなんて考えられないじゃないですか。その点、高校生のときに建築家を目指している中山とは違うんだけど(笑)。 大学に入って、都市工学科を選んだものの、正直その時点では都市工学や都市デザインが何をやるのかちゃんとわかってなかったです。でも建築を専攻するよりも、なにかもっと大きなことをやれそうだという気がして、二十歳で何も考えてなかった僕は、いっそわからないほうに行こうと(笑)。

ー影響を受けた建築家、都市デザイナーはどなたかいますか。

三文字 私が尊敬する都市デザイナーでは、北沢猛さん(1953-2009)。横浜市役所の都市デザインチーム(後に都市デザイン室に改称・改組)に勤めていた方で、幼い頃から通っていた横浜のまちをつくりあげた方です。現場の第一線で仕事をされたあと、大学に戻り、教育者・研究者としても活躍された。かなり特異なキャリアを積まれている方で、私の恩師のさらに恩師という筋だったのですが、私は直接お目にかかる機会には恵まれませんでした。
その北沢さん曰く、都市デザインというのは、計画論やプロセス論として整理されるものではなく、空間デザインと社会システムの両者が必要なんだと。最終的に都市という大きな存在にどう寄与するかを考え続けていれば、それがアーバンデザイナーなんだと。私自身の目指す職能もそこにあると考えています。都市というスケールにどこまでしがみ付き続けて、建築などにどうやってそれをのせてやっていけるのか。

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インタビューに応じる三文字昌也氏

前編でもうかがいましたが、三文字さんは大学を出てすぐに独立されたんですよね。

三文字 当時の流れに身を任せた感じでしたね。起業するぞ!などと強く思っていたわけではなく。
でも、実は学生のときからずっと思っているのですが、建築って、アトリエも含めて設計事務所がたくさんありますよね。でも、都市デザインや都市計画を学んだ学生が、卒業後に都市デザインに関わることができる職を得ようとしたとき、日本では大手の組織設計に就職するか、公務員になるか、ほぼこの二択になるのです。なので、都市デザインのアトリエがもっと増えればいいのにと思っていました。
その一方で、都市デザインの仕事はコンペティションやプロポーザルで決まって動いていく。ほぼ自治体が主催し、規模も大きいため、参加資格がとても厳しい。大学のポッと出の人間だけではとても参加できない。当たり前といえばそうなのですが。若手の都市デザイナーが組織の外でもっと活躍できる場がいいかたちで増えていけばと願っています。

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流動商店が建築・インテリア系の媒体からのインタビューを単独で受けるのは今回が初。二人は「これまでの活動を振り返り、俯瞰した考えを伝えられる機会となりとなりました」と、インタビュー終了後の感想を語ってくれた。

依頼者へのプレゼンテーションは、三人でつくって三人で説明するのですか。

中山 いえ、依頼の内容によって、フロントマンを決めることがほとんどです。
それぞれのテイストになりますね。設計プロジェクトだと、風土や都市背景、市場などの文脈をそれぞれが読み解き、そのあとでかたちづくりに入ります。使う素材はどういうコンセプトのもとに、こういう素材はどうかとか。

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流動商店が設計・施工を担当した飲食店舗《薬膳割烹 気生根》(2022年)

中山 例えば、根津で割烹の店舗デザインを請け負った時には、東京野菜を用いて薬膳料理を出す店だったので、東京という風土があってないような土地でいかに江戸由来の風土を感じられる空間をつくるかを考えました。壁は、左官材のメーカーに頼んで東京の土と藁を混ぜて作ってもらったものを、ワークショップで塗る人を募集して、周辺住民の皆さんと一緒につくりました。
藍染町という地名にちなんで浮造り(うづくり)した東京の杉を、天然藍で着色してカウンターの幕板をつくったり、木製什器を柿渋塗装に蜜蝋で仕上げたりして、天然素材どうしの組み合わせを試みました。

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《薬膳割烹 気生根》平面プラン

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東京産の土と藁を使用した材で土壁を仕上げるワークショップの様子

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《薬膳割烹 気生根》竣工後の内観

流動商店がワークショップで必ずやっていること

流動商店が得意とするワークショップでは、どういったことを心掛けていますか。

三文字 参加者に手を動かしてもらっています。100パーセント、何か手触り感を持ってやってもらって、爪跡というか、痕跡をその空間に残してもらいたいですね。
それは別に設計のワークショップだろうが、施工のワークショップだろうが、話しをするワークショップだろうが、何かしらそこに爪痕が残ったという感覚を絶対に持って帰ってもらうことを強く意識してやっています。

中山 もちろんワークショップを行わない案件もありますが、施主がワークショップを希望した場合は、設計の検討段階から参加してもらえる余地をつくって、みんなが参加できるような施工法を考える。その順番でやることが多いですね。
阿佐ヶ谷の住宅街の一軒家を改装して地元の人々のコミュニティの場にした《まちサロン おきやんち》では、プロジェクトの経緯と性質もあって、仕上げの大部分をDIYワークショップで行いました。老若男女、町中の人たちに集まってもらって、にぎやかな現場になりました。

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《まちサロン おきやんち》施工ワークショップの様子
実施したクラウンドファウンディングのリターンの一部として行われた

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プロジェクト「京都SIP」模型(一部)

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プロジェクト「京都SIP」模型(内部の一部)

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プロジェクト「京都SIP」完成後のイメージ

三文字 東尋坊のプロジェクトが始まった初期には、現地での音楽フェスの企画と開催にも携わりました。ポップアップ的にばっと場を盛り上げて、プロジェクトの機運を高めていくのは、我々が得意とするところです。イベントやお祭りをやると、この場所や空間、都市がどうなるのか、自分たちはどうしたいのかといったことがイメージしやすくなるんです。

「お祭り」は、流動商店が「つくるもの」に挙げている5つのうちのひとつですね。その考えはどこで培われたのでしょうか。

三文字 私は昔からお祭りが大好きで(笑)。もうひとつには、都市デザイン研究室の修士の1年めに、ネパールでの震災復興のプロジェクトに関わったときの実体験があります。現地でのお祭りを見ていたら、それまでの日常ではわからなかった都市・集落の構造が見えてきて、お祭りの重要性を知りました。
その経験が今、東尋坊の商店街でデザインのガイドラインをつくるのに役立っています。いろいろな経験がつながっているんだなぁと、後になってから思いますね。

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坂井市のアンテナショップ《KINENO》(2023年東京都品川区)
商品が陳列される前の夜間外観

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《KINENO》内観(商品陳列前の什器)

流動商店のこれから

最後に、流動商店の今後の展望について聞かせてください。

三文字 いま動いているプロジェクトは、都市デザインの案件だと、静岡市の清水駅前商店街で、DIY型のワークショップで商店街をどう変えていくかという計画が進んでいます。

中山 そのほかに、10月初旬に東京都江戸川区平井に《発酵さぎょう》という日本酒のバーがオープンするのと、5,000平米の敷地ににサウナと飲食店付きの宿泊施設をつくる計画もあります。

三文字 ここに移転する前に事務所を構えていた、文京区向丘2丁目にあるバー〈流動商店.tokyo〉を9月でいったん閉めるので、その後をどうしようかなと考えています。なにかひとつ自分たちの場所は持っていたいんですよね。この事務所の1階でも、あるいは本当に屋台飲み屋でもいいのですが。
あの店は、我々がいろいろと試行錯誤することができた実験場でもあり、クライアントとのタッチポイントでもありました。きてくれたお客さんに「この店は我々が設計して施工まで全部やったんですよ」という話をすると、そこから興味を持ってくれて、じゃあ仕事を頼もうかなという話に発展していた。
そうはいっても「流動商店さんって何屋さんなんですか?」とは訊かれるので、2022年の秋からフリーペーパー『季刊 流動商店』をつくっています。我々がやってきたことを紙媒体で端的に伝えられるようにしました。

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11月に竣工した日本酒のバー《発酵さぎょう》

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『季刊 流動商店』紙面(2023年夏号 #004)

中山 事務所にカフェを併設したり、別の用途で場を運営する設計事務所はここ数年で増えてきました。けれども我々は、本当の意味で全くの異業種間でタッグを組んで、流動性というものが担保されている中で、飲食も建築も都市デザインも、プロとしてやっていきたい。我々はそれができると思っていますし、これからもやっていける組織にしたい。結局のところ、僕たち三人は、全てのロールプレイングをやりたがる人間なんです。
設計スタッフも加わったので、建築の仕事を増やしていきたいですね。

三文字 中山にしてみればそうだよね。私は都市デザインのアトリエとしてのやり方も積んで、これからも流動商店として仕事を受けていきたい。
それと、海を越えて、台湾で流動商店をプロジェクトとして立ち上げてみたいですね。いま、台湾をテーマに博士論文を書いているから、都市の研究と実践の両面からやっていけるといいかな。

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インタビューに応じる中山氏と、隣で話に聞き入る三文字氏
流動させられる空間の仕組みをつくっていく

中山 僕はオーベルジュをつくってみたい。まわりの里山のような環境も含めて。僕がもっているエコロジカルな文脈と、商店という文脈と、都市という文脈、それぞれが持ってる知見を最大限活かせる仕事だと思っています。流動商店のポートフォリオとしても、いちばんいいプロジェクトになるかもしれませんね。

三文字 我々は毎年、仕事の内容と重点を置くところが流動している会社だと言えます。
来年と再来年あたりは東尋坊のプロジェクトを中心にしっかりと実務設計をしていくとともに、流動商店と仕事がしたいと思ってもらえる人を増やして、いろんな人が集まってきて、流動商店とは何かを一緒に考えていきたい。
この事務所(流動工房)がその典型なのですが、都心には利便はいいけど住宅密集地で建て替えが難しい物件が多く、我々に相談が持ち込まれることも度々あります。でも改修に費用をかけられない大家さんも多くて、結果的に空き家・空き店舗になってしまう。そうならずに、流動させられる空間の仕組みを丸ごと提案する、そういったことを我々はこれまでずっとやってきました。空き家問題への解決策として、空間設計だけではない解き方をトータルでやっていけたらいいですね。

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インタビューが行われた現事務所・流動工房は、およそ築100年の木造二階建てを改修設計しながら店子として入って使用している

流動商店 共同代表3氏のプロフィール

三文字 昌也(Masaya Sammonji)
流動商店共同代表、都市デザイナー
1992年神奈川県生まれ。2016年東京大学工学部卒業、同学大学院工学系研究科都市工学専攻(都市デザイン研究室)。 都市デザイン・都市計画史の研究者として、東京都区部から台湾、ネパールまで、さまざまな場所で都市デザインの研究・実践を行う。2018年に豊田健らと流動商店の前身となる事務所の立ち上げに参画、都市という専門を生かした空間設計・プラニング・クリエイティブなどを担当する。

中山陽介(Yosuke Nakayama)
流動商店共同代表、建築家、環境デザイナー
1994年東京生まれ。東京工業大学附属科学技術高校で建築を学び、千葉工業大学に進学。同学大学院で意匠設計を専攻、修了。大学院修了後は能作文徳建築設計事務所に勤務。2020年に独立し、環境と建築をデザインするPON Designを設立、主宰。同年より合同会社流動商店で共同代表も務める。

豊田 健(Ken Toyoda)
流動商店共同代表、料理長
1992年生まれ。2014年東京大学教養学部卒業後、住友商事にて資源トレード投資事業に従事。2015年よりRidilover(リディラバ)にて地方自治体とのツアー企画事業の部長を務め、全国各地に200人以上を送客するツアー事業を創出した。エスニックの料理人としての顔も持つ。

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流動商店のロゴマーク(デザイン:三文字昌也)

ウェブサイト https://ryudoshoten.tokyo/

流動工房にてインタビュー(2023年9月収録)
取材・文/遠藤直子


※2023年9月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。
※本稿の写真:インタビュー風景を除き、すべて流動商店提供

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