この連載では、「つながる」という言葉を手がかりに、住まいや日々の営みを大切にしている人たちにお話をうかがっていきます。登場するのは、ものづくりに向き合う方や、食に携わる方など、それぞれの道を歩みながら、自分らしい暮らしを育てている人たち。聞き手は、これまで暮らしに関する雑誌や本を多数手がけてきた編集者・小林孝延さんです。
自分の住まいと、誰かとのつながり。自然とのつながり。家族とのつながり。小さな工夫やまなざしから見えてくる、豊かさのヒントをお届けします。
二度目の移住は、弾みをつけて2匹の猫と



猫沢さんにインタビューする? 違和感しかありませんが、よろしくお願いします(笑)。
「小林さんにインタビューされる? すごい変な感じですがよろしく(笑)」(猫沢さん)。
パリと東京を結んだ画面で、お互い照れ笑いを交わしながら取材が始まりました。
パリ在住エッセイスト、シンガーソングライター、雑誌編集者、グラフィティアーティスト、パーカッショニスト、エトセトラ。まるで十一面観音並みにたくさんの顔をもつ猫沢さんですが、僕にとっては取り繕わなくてもいい友達、というのがいちばんしっくりきます。運営しているオンラインサロン『バー猫林』のママとマスターでもある僕たちは、毎月の数時間、おしゃべりを楽しむ仲間でもあります。
知り合ってから21年目。ご縁の始まりは、当時、僕が編集長をしていた月刊誌でエッセイの連載をしてもらったことでしたが、もちろん21年ずっとではなく、ご縁の糸を伸び縮みさせながら年月を重ねてきた感じで。糸が一気にシュルシュルッと縮んだのは、コロナ禍が始まる少し前の頃でした。つないでくれたのは共通の保護猫仲間。以来、くだらない話や犬や猫の親ばか話、心の内をさらすような話まで、話題には事欠かず話すようになりましたが、改まってパリでの暮らしについて伺うのは僕にとっても新鮮です。
猫沢さんのパリ生活は2幕に分かれています。第1幕は2002年からの5年間。エッセイを届けてもらっていたのはこの頃です。その後、いったん東京に居を移し、2022年、二度目の移住を決行します。フランス人パートナーと暮らすためのパリ生活第2幕、始まりは2月14日のバレンタインデーだそう。
「ロマンチックな話でもなんでもなくて、ちょうどコロナ禍の最終期で、飛行機の数がとても少なかったの。猫2匹を一緒に連れて行くには、その日のその便しかなかったから。周りはすごく心配して『猫たちは預かるから、エミちゃんだけ先にパリに行って落ち着いたら連れていけばいい』と言ってくれたけど......なんとなく勘が働いて、これはもう一気に行ったほうがいいんじゃないかと」
渡仏後ほどなくしてウクライナ紛争の影響で空路が断たれるなど、猫たちを呼び寄せるのがどんどん難しい状況に。もし日本に猫たちを残していたら、なかなか合流できなかったかもしれません。いい勘してます!
「私の人生って、熟考を重ねた後は、だいたいいつも自分の勘だけで決断して動いちゃう。人の言うことはわりと聞きません(笑)。でも、それって何があっても誰のせいにもならないし、誰のせいにもしたくないし。移住も猫と一気に動くことも、人生の中で大きな決断だったけど、最終的にやってよかったですね、うん」
猫沢さんの潔さには惚れ惚れするばかり。とはいえ、たいていの人は、次の住まいが決まっていないうちに、もとの家を潔く手放したりはしませんが(笑)。
「そうそう。パリに発つ前に東京の家は売っぱらいました。50歳の海外移住ですからね、パリは大好きな街だし二度目ではあるけれど、かなり弾みが必要な決断だったから、ある意味、退路を断つような状況にしないと思い切れなかった。何が私をそこまでさせたのかは、ちょっとわかんないです(笑)」
いや、わからなくないです。大切なパートナーと人生をともにするためでしょう。でも実際、猫沢さんは渡仏前にかなり不安だったそう。あっけらかんとした気持ちで渡仏したわけではないのですね。
「フランス人のパートナーもいるから頼ることだってできるのに、50歳すぎてまた24時間フランス語の世界で膨大な行政手続きとか確定申告とかフランス語でやるのか私は。できるのか? とにかく不安。で、こっちに来て『何をそんなに思い詰めていたんだろ。アホか私』って思いました(笑)。50歳から新婚生活みたいな暮らしを始めることがまずおもしろいシチュエーションだし、暮らすうちに、そっか、私ぜんぜん知らないんだって気づいたんですよね。彼のこともこの国のことも。たとえばこの人は朝起きたらまず何を飲むのか、カビ落としはどの洗剤を使えばいいのか、暮らしの微細なところがわからないことだらけ。これはまだまだ発見すべき面白さがあるな、あと30年くらい飽きずに暮らせるなって思ったら肩の力が抜けました」
スカスカの部屋につまっているもの



今の住まいの大家さんは30代フランス人の女性だそう。パリ到着後、友人が確保してくれたアパルトマンに滞在しながら半年くらいかけて引っ越し先を探すつもりでいたそうですが、渡仏8日目にして奇跡のようなめぐり合わせで現れた物件なのだとか。1970年代の築浅(!)物件です。
「いろいろな面で好条件だったのだけど、建物の条件で言うとバスタブがあったり、ベランダがあったり。使いやすそうな間取りで、備え付けの家具のセンスもよくて。それにフランスではめずらしい床暖房だったの! 東京の家だと冬は床暖房で猫たちがぬくぬくできたけど、パリには基本、床暖房システムなんてないから『いいかい、床暖はあきらめろ』って猫に言い聞かせていたのに、そんな奇跡あるの!?ってびっくりでした。これは渡航する数か月前に亡くなったイオちゃん(愛猫)からの贈り物、ここにお住みってことだわ、と。内見したその日のうちに仮契約をして、3週間以内には引っ越しました。バチッと住むところが決まって、猫たちも安心できて、すごくスムーズな始まりでしたね。閑静な住宅街だけど近くにマルシェがあっておっきなスーパーもあって、それから住んでからわかったのは、なぜか酔っぱらいが集まりやすいという心優しさがある(笑)、私に合ったエリアです」
自分に合う街に理想的な間取りと奇跡的な設備の家があって、「ここにお住み」とささやかれるなんて。フランス語で「ご縁がある」ってなんて言うんだろう。
「でも、そこからね、荷物が届かないわけですよ、9か月も(笑)」
東京から送った荷物は、「税関にスタックされたため国際宅配便の担当者さんとタッグを組んで戦った末、奪還した」とのことで、その間が9か月。
「そこまでスーツケース大小2個ずつの荷物だけで。人生の中で、こんなに身の回りのものが何もない生活は初めてだったから、あとから思えば新鮮でしたね。人間ってこんなに軽やかに暮らせるんだと知りました。荷物をまとめて、じゃ、明日からブエノスアイレスに引っ越します!なんていうのも実際にやるかどうかは別として、不可能じゃないんだなって。なんていうのかな、スカスカの家の中にはそんな可能性がつまっているのだと思えたことはすごくよかったです」
スカスカの家には可能性がつまっている、素敵な感覚ですね、それ。でも、スーツケース4個分の荷物で、9か月も暮らせるものなんだ。僕だったら、なんだかんだ言いながら買い足してしまうかも。
「うかうか買うわけにはいかないわけですよ、そのうち届くんだから。特に、荷物の半分以上を占めたキッチン道具を思うと、今足りないからって安易には......ねえ。さすがに買ったものもありますよ。近所で見つけたフランスの伝統的なキッチン道具のお店でフライパンや鍋を買ったり、風呂上りに『バスタオルがなくてキッチンクロスで拭いたからちょっと買ってくるわ』って向かいの大型スーパーに行ったり」
バスタオルは......たしかに切実ですね(猫沢さんが買ったもの、日本から届いた荷物のお話なんかは、後編でまたお届けします!)。
街が一つの生命体、そんなパリはやっぱり特別



こうして猫沢さんと話していると、パリの暮らしが立体的に立ち上がってくるような気がしてきます。エッセイを読んでもやっぱりそうで、雑誌で紹介されるような憧れのパリも素敵だけど、猫沢さんが体感している在住者としてのリアルなパリが、なんとも魅力的なのです。
「パリという街はフィルターがかかりやすい街であることはたしかですよ。憧れとか夢とか。でもね、配信ドラマの『エミリー、パリへ行く(※)』みたいなまばゆさが虚構かというと必ずしもそうではなくて、かなり誇張されてはいますけど、本当にあるんですよ。私の中にもエミリー的な憧れが、微々たる感じで残っていたりします(笑)」
住んだからこそ感じる、よきところも悪しきところも。猫沢さんのお話や筆致には、すべてをまるっと愛で包んだ視点があるから、ファンはますますパリに魅力を感じるのですね。たとえ内容がシビアなことでも。
「住んでいる人はみんな言うんだけど、なんていうか、パリってただの街ではなくて1つの生命体みたいだって。そういう意味でパリはやっぱり特別な街で、パリがその人を愛するか愛さないかで快適に住めるかどうかが決まってくる気がするんです。パリのエスプリ<知性、精神性>が試してくるような出来事があって去らざるを得なくなったり、自分が別の場所を選びたくなったり。一度目の移住から2007年に日本へ帰ることになったとき、『私がヒヨッコすぎて、パリに居続けるには何かが足りないのだ』と思ったの。パリに認めてもらえなかったような感じがして悲しくて号泣しましたねえ。まあ、帰った後は日本で暮らすということを満喫できたので、それはそれで貴重な経験でしたけど」
実は一度、2年前だったかな、猫沢さんのアパルトマンを訪ねたことがあります(ブローニュの森とセーヌ川で僕の趣味である魚釣りをしまくるというぶっ飛んだ目的の旅の途中に)。集まった猫沢さんの友人たちと、フロマージュをかじりながらワインを飲んで明け方まで騒いだひとときは、パリらしい楽しみに満ちた時間でした。だけど、街が1つの生命体などとまったく感じなかったのは、僕が旅の滞在者だったからなのでしょうね。ちょっと悔しい(笑)。
ミクロとマクロ、両方の世界に身を置いて



住んだからわかることの反対に、在住者でなくなったからわかることもありました? 日本のこととか。
「狭い島国で生まれ育った私が感じる『ここに住む』という感覚って、大陸の人からしたら、すごく狭いのかもしれません。人間ひとりが暮らすスペースなんて、どこの国でもたいして変わらないはずだけど、日本だと『家に住んでいるんですよ』という感覚が強くて、フランスだと『街に住まう、土地に住まう』、大地に住んでいる感覚が強い。海という境界線を容易に越えられない日本と、どこにでも行けるという選択肢におおらかさがある大陸、そこはだいぶ違うなって感じがします。私は島国ならでのちょっと内向きでコージーな感じも大好き。日本人特有の文化、たとえば、猫と一緒にこたつでみかんを食べながらバラエティ番組を見るとか。フランスのアクティビティと同じくらい楽しいわ~ってちゃんと思えます」
猫沢さんのファンから見たら、こたつでみかんの、なんならドテラ姿の猫沢さんは意外なのだろうか。それとも全然アリなのか......。僕は超似合うと確信していますけど。
「そういう日本的な、微に入り細に入りミクロの点に向かっていくような暮らしと、いろんな民族、いろんな宗教、いろんな価値観があって差別する人もいればしない人もいるようなマクロに広がっていく暮らし、私の人生、その両方を網羅できていると思っていて。そのことにすごい感謝してるな。自分の人生に感謝してますね、うん」
ピガとユピにとってのパリ暮らし



そうそう、猫たち、黒猫の兄さんピガと、茶トラの弟分ユピは、移住してから今までどんな様子でしたか?
「ちょっとずつ馴染んでいったんだろうなと思います。仮住まいのとき、特に繊細なピガは環境変化のストレスで行方不明騒動を起こしたり騒いだりして大変だったけど、今のアパルトマンに引っ越してだいぶ落ち着きました。リビングにベランダがついている間取りが東京の家とちょっぴり似ているのもよかったのかも。少しずつ家に慣れ、パートナーに慣れ、今では、まるでここで生まれ育ったかのように我が物顔で暮らしています」
今は彼にべったりですもんね。
「ユピ坊ははじめ、彼のことはママを奪う敵だと思ってシャーシャー言って、パパとして受け入れるのに時間がかかったけれど、今はもうべったり。ピガは、パパはママのパートナーだからリスペクトはするけど、態度には差をつけさせてもらいますよ、という感じ。やっぱり猫にとっては私が起点なのね。私が信用する人は信用する、みたいな。東京では高層階に住んでいたので、ここに来てはじめて、木の葉のこすれる音とか鳥の鳴き声とか酔っ払いの歌声とか、そういう自然や街の気配のある暮らしをあげられて、よかったなと思ってます」
――――――後編へ(10月公開予定)
※2020年に配信されたアメリカのテレビドラマシリーズ
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エッセイスト 猫沢エミ
ミュージシャン、文筆家、映画解説者、生活料理人。2002年に渡仏。2007年より10年間、フランス文化に特化したフリーペーパー《BONZOUR JAPON》の編集長を務める。超実践型フランス語教室《にゃんフラ》主宰。2022よりフランスへ再移住、現在パリ在住。『ねこしき』(TAC出版)他、著書多数。11月26日、死生観について綴った編集者・小林孝延との往復書簡『真夜中のパリから夜明けの東京へ』が、集英社より出版予定。

企画・インタビュー 小林 孝延
編集者・文筆家。ライフスタイル誌、女性誌の編集長を歴任。暮らしまわりの書籍を多数プロデュース。出版社役員を経て現在は株式会社「イン-ヤン」代表。連載「犬と猫と僕(人間)の徒然なる日常」(福井新聞fu)、「真夜中のパリから、夜明け前の東京へ」(集英社よみタイ)ほか。著書に「妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした」(風鳴舎)がある。
Instagram:@takanobu_koba
構成:みやざき しょうこ
写真:井上 実香