ニューノーマルと呼ばれる昨今、人々のライフスタイルへの意識や、働き方などが大きく変容している。建築とその周辺領域に対して求められる職能もまた、変化が求められている。
「WEB OZONE」では、建築を中心とするクリエイターたちがどのように働き、経営者として事務所を切り盛りしているのか? 彼らの「仕事術」を明らかにすることで、読者それぞれの仕事にも置き換えて、考えるきっかけになればと考えている。

国立市谷保に、シェアする商店≪富士見台トンネル≫を開業し、自身の設計事務所・junpei nousaku architects(ノウサクジュンペイアーキテクツ)も置いている建築家の能作淳平氏。その「仕事術」を聞くインタビューの後編。

インタビュー前編はこちら

※特記なき画像はすべて、ノウサクジュンペイアーキテクツ提供

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UR団地の商店街の一角を占める《富士見台トンネル》。
立地は、JR国立駅とJR谷保駅を結ぶ大学通沿い(2022年7月取材者撮影)

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《富士見台トンネル》内観(2019年11月オープン当時)

能作氏の事務所のカンパニープロフィールには、「建築設計事務所でありながら、シェアする商店《富士見台トンネル》の運営もする。つくることだけでなく、使うことの実践を通して活動全体をデザインすることを目指し」ていることが謳われている。《富士見台トンネル》とは、能作氏が設計活動の規模を縮小してまで実現させた、他にあまり類のない会員制の「シェアする商店」。コロナ禍の危機を決断で乗り越え、順調に稼働中だ。

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画面中央:大学通りに面した《富士見台トンネル》

インタビューの前編では、「シェアする商店」の概要、立ち上げの経緯と現状について話を聞いた。
後編では、今の能作さんをかたちづくった「修行時代」にスポットをあてる。そして、次なる構想が明らかに。「シェアする商店」の進化系「シェアするみんなのコンビニ」とは?

鋳物ブランド「能作」の本家の生まれ

ーご出身は富山県高岡市、鋳物鋳造のまちとして有名で、ご実家は、世界に知られた鋳物ブランドの能作(のうさく)さんです。

能作はい。祖父の代までは職人をやっていたんですが、父が鋳造の過程で出る気体が体質に合わなくて、洋服のセレクトショップを高岡で開きました。祖父は「好きなことをやれ」と言ってくれたそうです。
地元で知り合って結婚した母親というのが、なかなか変わった人で、デザイン事務所に勤めたり複数の職を経験して最後に、インテリアコーディネーターと、建築士の資格をとっちゃうような人だったんです。

ーお母さまの影響で、建築家になろうと?

能作かっこよく見えたんでしょうね。デザインや建築設計をやっている両親の友人たちが、夜な夜な我が家に集まって、酒を飲みながら「コルビュジエが~」とか議論しているのが。建築家ってかっこいいぞって。建築のことなんて何ひとつわかってないのに。小学生でコルビュジエのビデオを借りて見てました(笑)。それが、本物の「建築」に触れた最初の体験でした。

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独立して最初に手がけた住宅《新宿の小さな家》(2011年)

進路を決定づけた『Casa BRUTUS』

ー1つ上のお兄さんの文徳さんも建築家を目指して、東京工業大学に進まれましたね。

能作僕の場合、小学校の卒業文集に「将来は建築家になりたい」とか書いてたんですが、最終的に受験する大学が決まらずにいたんです。そんな時期に、たまたま、コンビニで手にした『Casa BRUTUS』が建築特集で、建築を教えている大学を紹介していた。小っさい記事でしたけど、でもそれを見て、受験する大学を決めました(笑)。

ー東京都市大学(武蔵工業大学、通称ムサコウ)の建築学科に合格し、2002年に上京。当時のムサコウは、どなたが教えていましたか。

能作前年に《屋根の家》が竣工していた手塚貴晴さんが、その当時は専任講師でした。僕は手塚作品が大好きだったから、入学式の日に、手塚さんのトレードマークの青いシャツを目掛けて突撃して、初対面で「僕、建築家になりたいんです!」って、とんでもない挨拶をした(笑)。当時はスター建築家になりたかったのでね。イタいやつでした。

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2012年《赤羽台団地のリノベーション》におけるスケールのスタディ

大いなる挫折を経て、アトリエ系事務所へ

ー2006年に大学を卒業後、長谷川豪建築設計事務所に勤務した経緯を聞かせてください。

能作本当はねぇ、僕は大学院に行きたかったんですよ。成績はたぶん悪くなかったんですが、当時の僕は人間性にちょっと問題があって、アハハ。卒業設計の下馬評で太鼓判を押されていたのに、肝心の講評会で先生と大喧嘩して台無しにしちゃうような学生でした。さらに、他の大学の院入試にもことごとく落ちた。ショックでしたね。

どこにも行くところがなくて、ブラブラしてたら、兄がいた東工大の先輩で、西沢大良さんの事務所から独立していた長谷川豪さんが、「ヒマなら、手伝ってよ」と声をかけてくれた。僕はムサコウ生でしたけど、東工大にも模型づくりの手伝いに行ってたから、知り合いも多くて、身体の半分は東工大生みたいなもんでした(笑)。手伝うくらいならと軽い気持ちで長谷川さんのとこに行ってみたら、通算で4年も働いていました(笑)。

ーでも、つまりは能作さんが長谷川事務所の黎明期を支えた。

能作僕が入った2006年は、所員も少なく、《森のなかの住宅》をはじめ、桜台、五反田での住宅作品が立て続けに竣工して、相当に忙しい時期でした。でも、どうしてもやっぱり大学院に行きたくて、1年で辞めさせてもらったんです。そうしたらそのあと、担当した《五反田の住宅》が『新建築』に掲載されることになり、長谷川さんに「撮影があるから、来ない?」と誘われて、それはせっかくの記念だしと行ってみたら、そこから元の鞘に戻っちゃった(笑)。長谷川事務所では、今思えばチーフ的な立場も経験させてもらいました。独立して、自分の事務所を設立したのが、2010年です。

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《ハウス・イン・ニュータウン》(2014年)

「郊外」への偏見をハズしてみる

ー2014年に、ご自宅と事務所をこちらの国立市谷保のUR団地に移す前は、事務所は西麻布にあった。都心への未練はなかったのですか?

能作なかったです、全く。むしろ、ワクワクしてました。こういうパターンってないよなって。郊外って、こう言っては失礼だけど、あまり文化がなさそうだなとか先入観があったのですが、いざ住むことになってみると、クリエイターにとっておもしろい環境なんじゃないかと思えたんです。夜はあっという間に真っ暗になるけど(笑)。考えようによっては、別荘地のようなラグジュアリーさがあるな、なんて。よし、じゃあ、この場所で、なにかテーマを見つけて、定義づけられたらいいなってずっと思ってました。このまちならではのクリエイションってなんだろう? なにかおもしろい場所がつくれたらいいなって。

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旧公団が1960年台より整備した団地の特徴として、遊具付きの公園や商店街なども併せて計画されている

能作例えば、設計事務所だったらこう、受注のしかたはこうあるべき、建築家ならこうあるべき、こういう職能をやるべきっていう、いろんなイメージがあると思うんですけど、僕は、そういう固定化されたイメージどおりに振る舞うのが苦手な性質(たち)で。たぶん、あまのじゃくなんでしょうね。

「国立みたいなベッドタウンで、しかも団地で、設計事務所をやるってなんなの?」って他人(ひと)に言われちゃうようなことをやるほうが、僕には合っていたし、自分の置かれた状況について深く考えて、知ることができた。逆境のほうが、なにかおもしろいことができそうだと、郊外に引っ越してきたからこそ、気付くことができたのかもしれませんね。

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《富士見台トンネル》の店内からは大通りの往来がよく見える

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おみそ汁専門店「御御御」のモーニング営業の様子

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シェアする商店の1つ、古代ケルトのセラピー「西の魔女」さん出店中の様子

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《富士見台トンネル》夜間外観

目指しているのは、実は「名作建築」

ー独立後は、住宅や、工場、離島でのプロジェクトなどが続きました。順風満帆にみえるのですが、前回のインタビューでは「設計の仕事を減らしてまで、《富士見台トンネル》のプロジェクトを立ち上げた」と。

能作これもふつうはない展開ですよね。設計の仕事を断ってまで、自分のプロジェクトのための時間を割いたという。

ではなぜ、僕がこういうことをしているかというと、ちょっと、僕が今やってることとのギャップを感じるかもしれませんが、名作建築をつくるためだったりします。パトロネージュのつもりなんです。現代の、パトロン。単にリノベして、片手間に使うんじゃなくて、きちんと事業としてやって、場をつくりあげていきたい。そうして出た収益を投資して、お金が回っていく状況にもっていかないと、自分で自分のプロジェクトをつくり出すことなんてできっこない。昔であれば、建築家に出資して名作をつくるパトロネージュがありましたが、今日ではなかなか難しい。

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《富士見台トンネル》で2019年12月に開催されたトークイベントの様子

能作クライアントとたまたま気が合えば、パトロン的な支援を受けられるかもしれませんが、それは運に左右される。ならば、自分自身がパトロンになりえないか?と考えるようになりました。言い換えると、つまりは自分の事業が自分のパトロンになりえる。

建築家やデザイナーの自邸に名作が多いのは、自分で要望を出して、かたちにしているからだと思いませんか。でも、建築家が自邸を建てる機会なんて、1、2回しかない。数として少なすぎる。何回もつくりたいとなると、やっぱり自分が事業者になり、自らが自らのパトロンになるしかないのでは?と思うんです。

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先へ先へ、そのまた奥へと掘り進んでいくようなイメージを表現している《富士見台トンネル》のロゴマーク(デザイン:古谷 萌 / Study and Design)

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《富士見台トンネル》開店前、店頭に出されたベンチに座る近所の子ども

次なる構想は、シェアする「みんなのコンビニ」

ー次なる展開は、シェアする「みんなのコンビニ」であると、オンラインセミナーの場などで明らかにされています。どういったものですか? 概要を聞かせてください。

能作「シェアする商店」の次は、「シェアするコンビニ」。シェアの物販バージョンです。「みんなのコンビニ」で商標登録も準備中です。

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「みんなのコンビニ」が目指している地域における”立ち位置”

これは僕だけじゃできなくて、不動産に強いアラウンドアーキテクチャーの佐竹雄太さんと、まちづくり事業で実績がある三画舎(さんかくしゃ)の加藤健介さんと僕の三人で企画して進めています。2022年8月18日から、クラウドファンディングも始めました。

クラウドファンディングの詳細

棚をシェアする参加型コンビニ「みんなのコンビニ」をつくろう!
リアル店舗とオンラインコミュニティで街のチャレンジを応援!
https://motion-gallery.net/projects/minnanoconveni

三人とも建築学科の出身なんですが、やっていることがそれぞれ違うし、人脈も違う。得意分野が合わされば、なにかおもしろい拠点づくりができそうだと、お二人に声をかけました。

ー具体的に、どのようなサービスを展開する予定ですか?

能作基本は棚(たな)貸しです。会員制で、棚を区画で貸して、会員が自分で商品を棚に置いて、販売する。それが集まって、1つの「コンビニ」ができあがっていくようなイメージです。コロナ禍で、個人商店が少しずつ消えていて、モノを売りたいという人向けのサービスがつくれないかなと。

でも、たぶん個人商店って、店の中に入るのにちょっとした勇気が要ると思うんです。そんな店をみんなに知ってもらい、利用してもらうために、誰にでもわかりやすくて入りやすいコンテンツって何かなと考えていったときに、現代のコンビニエンスストアというものが、僕らがやりたいサービスに近かったので、ネーミングとしてとりました。

店舗は、国立駅に近い富士見通り沿いで物件を借りていて、僕が設計しています。このリアル店舗と、オンライン上のコミュニティ「バックヤード」という会員サービスを用意していて、いろんな人がそれぞれに持っているノウハウをシェアできるコミュニケーションの場として機能します。

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「みんなのコンビニ」1号店 イメージ

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能作僕らが考えている展開イメージは、本社が全体をコントロールするチェーン展開でもなく、ライセンスやシステムで統合するフランチャイズでもなく、オンラインとリアルで店という点と点が結ばれて、全部がつながって、連携している感じ。なので、オンライン上に構築する「みんなのバックヤード」が実は重要な事業になるんです。店舗のデータの共有や、ノウハウを伝えるプログラムなど、みんなで学びながら成長していくイメージです。いろんな場所に「みんなのコンビニ」を増やしていきたいですね。

このプロジェクトは、実は僕が最初に「酒屋で角打ちをやりたい!」と言ったことからスタートしているんですが、それが「みんなのコンビニ」になっていくまでの過程も公開にてシェアしてもらえるようにしています。僕と佐竹さんと加藤さん、「みんなのコンビニ」のアートディレクションを担当してくれた古谷 萌さんも含めた、これまでのオンラインミーティングの様子を垣間見ることができます。

ーおもしろそう! これも名作の1つになりそうですね。

能作いろんなことを「みんな」でシェアして、おもしろいものをつくっていきたい。
クラウドファンディングで絶賛、支援を募っていますので、よろしくお願いします!
※クラウドファンディングは2022年12月15日まで。

ースター建築家になりたかったという若かりし頃の夢と、自身の手で「名作」をつくり出すという今日の姿が、見事に一致しました。

能作あっ、そうですね。うまいことつながった(笑)。

能作淳平 プロフィール
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建築家、junpei nousaku architects(ノウサクジュンペイアーキテクツ)代表。
1983年富山県高岡市生まれ。2006年武蔵工業大学(現・東京都市大学)建築学科卒業。同年に長谷川豪建築設計事務所勤務。2010年 junpei nousaku architects設立。2019年に「富士見台トンネル」開業。
主な設計作品に、自邸《富士見台団地のリノベーション》(2014年)、《ハウス・イン・ニュータウン》(2014年)、能作文徳建築設計事務所との共同設計《高岡のゲストハウス》(第1期-第2期 2014年-2016年)、《さんごさん》(2017年)、《ショウワノート高岡工場》(2018)、《101BASE》(2021年)などがある。
2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館での展示「縁:art of nexus」にて特別表彰を12組の出展者と共同受賞。 現在、芝浦工業大学、東京都市大学、東京理科大学にて非常勤講師を務める。

junpei nousaku architects Website

https://junpeinousaku.com/info/

取材・文/遠藤直子


※2022年12月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。

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001「建築家の仕事術 HAGI STUDIO 代表 宮崎晃吉氏インタビュー」前後編
https://www.ozone.co.jp/news/report-interview/800/
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