島崎 信×萩原 健太郎 クロストーク vol.3
「北欧のサマーハウスと、暮らしのメンテナンス」前編

2022年9/10(土)に開催した、島崎信先生と萩原健太郎さんのクロストークセミナーの様子を、前編・後編のテキストアーカイブにてお届けします。
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※開催は終了しています。

今回のテーマは「北欧のサマーハウスと、暮らしのメンテナンス」

現代の日本人の暮らしの中で、物に対するメンテナンス(例えば割れた食器の金継ぎや、洋服の仕立て直しなど)は行うのに対し、家はそのままにされがちで、あまり手入れをされていないことも。
一方、北欧では、家をメンテナンスしながら住む習慣が昔から続いています。
北欧のサマーハウスなどを例に、暮らしのメンテナンスについて考えます。
今回のクロストークでは、

・日本のDIYの萌芽
・北欧のサマーハウス

...について触れていきます。

前編は「日本のDIYの萌芽」のお話をご覧ください。

― プロローグ

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島崎前回のセミナーについて、多くのご意見をいただきました。
以前にもお話ししたのですが、家をつくるということは、世界中で唯一のあなたの家族にとっての住まい方を実現することであり、一般論では語れません。だから、ここでの話はハウツーではなく、みなさんが家づくりを考えるにあたっての参考になる知識に過ぎません。
今日は、北欧の話も出てきますが、そういうつもりで聞いていただけたら、と思います。

萩原今日は、
「日本のDIYの萌芽」
「北欧のサマーハウス」
について話を進めていきます。

― 日本のDIYの萌芽

萩原DIYって、みなさんご存知だと思うんですけど、おそらく僕が子どもの頃には馴染みがない言葉だったように思います。それが今では、生活のなかに根づいています。そのきっかけは何だったんだろう、って考えてみると、「東急ハンズ」に行き着きました。
東急ハンズは1976年、神奈川県藤沢市に1号店がオープンしました。DIYができる、ということだけでなく、自分らしいライフスタイルをつくることができる、先駆けとなった存在でした。
実は、島崎先生は、東急ハンズの設立に関わられています。ここからは、先生にお話しいただきます。

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開店当時の東急ハンズ1号店(藤沢店) 参照:同社HPより

島崎昭和50年代のはじめ、私が東京藝術大学の3年生のときのことです。東京新聞で家庭欄を担当していた方から、家のなかの小さな棚や踏み台、くずかごなどを自作する企画をやってみないか、と声をかけられました。当時、そういうものを家の寸法にあわせてつくるのは難しかったんです。そこで、私は自分で図面を書いて、材木や釘などを買って、実際につくって、写真を撮って、新聞に掲載してもらう、というのを2週間に1回、記事にしました。

企画の一つで、台所に棚をつくりましょう、ということになりました。今でこそ、どこにでもホームセンターがあり、手頃な大きさにカットされた木材が売っていますが、当時は一切ありませんでした。材木屋さんに行っても、大きな板が立てかけてあるだけなんですね。そこで小さな板が欲しい、なんて言うと、ほんとうに馬鹿にされました。「そこに捨ててあるのを持って行きな」なんて言われて、砂まみれになっているのを洗って、ノコギリで切って、カンナで削って......。釘は4本あればいいのに、グロス(12個×12ダース)で売っているものしかなかったんです。私は小分けで買えるようになればいいのに、と思いながら、半年以上、記事を担当しました。

そして、大学を卒業して、今の東急百貨店の前身にあたる東横百貨店に入社して、設計をやっていました。それから休職して、デンマークのデンマーク王立芸術アカデミーに留学しました。そしたら、ヨーロッパはほとんどですが、特に北欧では、家のちょっとした修理とか、棚をつくるとか、家族の誰かがやっているんですね。外壁のペンキ塗りを、主婦がやるというのは普通のことでした。後の時代になって、私が大学の教員になったとき、デンマーク王立芸術アカデミーのときの同僚に、夏に遊びに行きたい、と言ったら、「今年の夏は、サマーハウスをつくっているからだめだよ」と言われました。彼は大学の教授ですが、サマーハウスを自分でつくるというのはごく普通のことなんです。日本では考えられなかったことですが、各家庭に工具箱があり、街中のいたるところには、小さいですけど、壁紙やペンキ、板、工具などを取り扱う「ホビーショップ」がありました。

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デンマークから帰国して百貨店に戻った後は、企画の仕事のかたわら、営業もやっていました。そして1965年、今の渋谷のヒカリエの場所に「インテルナ」というショップを立ち上げることになりました。なぜかというと、東急電鉄が田園都市線を開発していたからです。その計画のもとに、東急不動産がその周辺の土地を買って、団地をつくったり、マンションを建てたりしていたんです。当然、そういうことをやっていれば、家のなかの家具、インテリアが必要になるでしょう。だったら、百貨店にインテリアショップがないのはおかしい、と提案したわけです。私はインテルナで仕入れや販売に携わりながら、片方では、武蔵野美術大学から依頼があり、非常勤講師も始めました。

その後、インテルナはやめたんですけど、私は何としても、普通の人が自分の家を修繕したり、居心地良くしたりできるように、簡単に道具類を買える場所をつくりたいと思いました。しかし、企画を出しても認められません。上の方も、ゴルフや海外旅行の企画ならすぐに許可を出すんですけど、自分たちで手を動かしてつくるとかやったことがないから実感が湧かなかったのでしょう。でも、親しくさせていただいていた専務を口説いて、1976年、東急不動産が持っていた藤沢市のマンション用の空き地に、東急ハンズをオープンすることになったんです。

オープンするにあたり、商品の取引先はぜんぜん動いてくれませんでした。たとえば、問屋さんに、「釘を20本ずつ小分けにしてくれませんか」と言ったら断られました。それで失業していた知り合いに作業をお願いしたところ、これが爆発的に売れたんです。他に、ただ商品を売るだけでなく、相談に乗りながら販売するコンサルティングを始めるなど、いろんなシステムを考えました。お店のネーミングについても、「ハンド」というのはどうだろう、と社長に提案したら、「手は両方にあるだろう」と言われ、「ハンズ」になったというエピソードもあります。1号店はたいへんな反響があり、続けて2号店が二子玉川、3号店が渋谷というふうに、増えていきました。渋谷店の設計もしたのですが、まず最上階までお客様を運んで、楽しみながら降りてきてもらえるように、スキップフロアにしました。4号店は大阪の江坂というところにつくりました。

萩原次は、スウェーデンが発祥のインテリアショップ「IKEA」について話を進めたいと思います。

島崎IKEAは今では世界中にありますね。IKEAの家具の特徴は、ノックダウンといって、組み立て式になっていることです。客は車で買いに行き、パーツがコンパクトにおさめられた箱を持ち帰り、自宅で組み立てます。実は、ストックホルムの郊外に、最初にできたときはあまり成功しませんでした。その後、組み立てるもの、配達するもの、と両方をやるようにして、ようやくうまくいったんです。現在、IKEAは日本に進出を果たしていますが、70年代にもやってきたことがあるんです。

当時、私も東急百貨店の窓口として打ち合わせもしたんですが、そのままの輸入品ではとても日本の住宅に合いませんでした。また、日本は自分で組み立てるというより、完成品をお客様の家に納品する箱物家具がさかんな時代、婚礼セットが全盛の時代でしたから、時期尚早であったと思いました。1974年、アクタスの前身の会社がIKEAを始めますが、86年に撤退しています。やはり、スウェーデン人と日本人の感性の違い、何でも自分たちでやるスウェーデン人と、何でもお任せする日本人という違いでしょうね。

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萩原先生がおっしゃる通りだと思います。今、IKEAに行くと、IKEAの家具用のビスなどが無料で持ち帰れるようになっていますが、当時の日本人は購入した家具のなかにビスが不足していたら、それだけでパニックになり、激しくクレームを入れたそうです。スウェーデン人なら、ないならないなりに工夫できるのですが。また、スウェーデンなら車で乗りつけて持って買えるけれども、日本の場合は家具の配送を希望する人が多かった。そのようなことに対するリサーチ不足が大きかったんだと思います。

2度目の進出に際しては、実は2002年にIKEAジャパンを設立して、4年間、綿密にマーケティングを行い、撤退から20年後の2006年にもう一度、千葉の船橋からスタートさせました。商品自体は世界共通のようですが、日本の住宅事情をリサーチした上でさまざまな提案を行い、今回は順調に店舗数を増やしています。

次は、家具メーカーのダニエルが開いた「家具の病院」です。こちらも島崎先生は深く関わられています。

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島崎ダニエルが湘南木工という社名だったとき、私は家具のデザインを手がけたことがあり、大ヒットしました。横浜の元町にお店があり、そちらの設計も私がするなど、たいへん縁が深いんです。

私の持論ですが、ほんとうの豊かな生活というのは、ブランドものに囲まれて暮らすのではなく、愛着のあるものに囲まれて暮らすことなのです。使い慣れているものであったり、手に馴染んでいるものであったり、思い出がいっぱいこもっているものであったり。長い間使っていれば、汚れたり傷んだりするのは当然のこと。それを手入れして、慈しんで使っていくわけです。洋服にしても、新品のものよりも何度か洗いを通したものの方が肌に馴染むし、暗闇でもボタンをかけられるようになるでしょう。

私は親子3代に渡り、ダニエルの顧問を続けています。ダニエルは、桜の木を使った良質な家具をつくっていますが、やっぱり傷んでくるし、汚れてくる。それを修理することが必要なんじゃないかと、20年前、家具の病院をつくりました。当時、業界からは「家具が売れなくなるじゃないか」「そんな馬鹿なことをやるとは何事だ」など、非難されました。しかし現在ではどの店も、修理を承ります、という時代になりましたよね。

ある百貨店が助けを求めて駆け込んできたことがありました。外国で使っていたテーブルがちょっとガタがきたので直してほしい、という依頼があって、百貨店は、表面まできれいに削り直して新品同様にしたのです。依頼した側としては、ガタを直してもらいたかっただけで、子どもが傷をつけたり、穴を掘ったりした痕は残しておきたかった。当然、元に戻してほしい、ということになり、百貨店が家具の病院に持ってきたんですけど、もうどうにもならないわけです。愛着のある家具ならば、他人が見ればただの傷でも、本人からすると、思い出の痕なんですね。

今、家具の病院では、構造の修理については整形外科、椅子の張地の変更などは皮膚科、などと呼んでいます。全部カルテをつくって、お客様のご希望をうかがってから直すようにしています。それを20年続けてきて、今では自社の家具以外も受けつけるようになりました。さらに、職人を育成するための「家具の学校」もつくり、そこの校長を私はずっとやっていました。そして今は個人的に、家具だけでなく、電気製品や玩具などを修理して使えるようにする「手直し横丁」というのをつくってみたいと考えているんです。

萩原では、「北欧のサマーハウス」に話題を変えたいと思います。

―前編はここまでです。
後編は、「北欧のサマーハウス」についてのクロストークをお届けします。

クロストークセミナーvol.3 後編はこちら

島崎 信(Makoto Shimazaki)
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1932年、東京都生まれ。
56年、東京藝術大学卒業後、東横百貨店(現東急百貨店)家具装飾課入社。
58年、JETRO海外デザイン研究員として日本人ではじめてのデンマーク王立芸術アカデミー研究員となり、60年、同建築科修了。
帰国後、国内外でインテリアやプロダクトのデザイン、東急ハンズ、アイデックの企画、立ち上げにかかわるかたわら、武蔵野美術大学工芸工業デザイン科で教鞭を取る。北欧やデザインに関する企画やセミナー、著作などを数多く手がける。
武蔵野美術大学工芸工業デザイン科名誉教授。
北欧建築デザイン協会理事、日本フィンランドデザイン協会理事長、公益財団法人鼓童文化財団特別顧問、有限会社島崎信事務所代表。

萩原 健太郎(Kentaro Hagihara)
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ライター・フォトグラファー。
1972年生まれ。大阪府出身。関西学院大学卒業。
株式会社アクタス勤務、デンマーク留学などを経て2007年独立。
東京と大阪を拠点に、デザイン、インテリア、北欧、手仕事などのジャンルの執筆および講演、百貨店などの企画のプロデュースを中心に活動中。北欧、インテリア、民藝を中心に多くの著書がある。
日本文藝家協会会員。日本フィンランドデザイン協会理事。北欧建築デザイン協会(SADI)会員。

萩原健太郎オフィシャルサイト「Flight to Denmark」


※2022年12月時点の情報です。最新の情報とは異なる場合がございます。

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