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パリを拠点に活躍する建築家、田根剛 。2018年、T O T Oギャラリー・間と東京オペラシティアートギャラリーの2会場で展覧会「田根剛|未来の記憶 Archaeology of the FutureJが開催された。展覧会に合わせて2冊の著書『TSUYOSHI TANE Archaeology of the Futureー田根剛建築作品集 未来の記憶』『田根剛 アーキオロジーからアーキテクチャーへ』(TOTO出版刊)を上梓。その出版記念イベントとして、2018年11月15日(木 )に田根氏と脳科学者の中野信子によるトークイベント「未来の記憶」がリビングデザインセンターOZONE 3Fのパークタワーホールにて行われた。当日は約300人の聴講者を集め、熱気に包まれた会場の中でイベントがスタートした。

取材・文/梶原博子 撮影/大倉英揮


第1部プレゼンテーション

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場所をめぐる記憶を発掘し、振り下げ、飛躍させる手法によって未来につながる建築へと展関させていく田根氏 。第1部では、自身のアイデアの源や思考を紐解いた2つの展覧会についてプレゼンテーションを行った。最初に紹介したのがTOTOギャラリー・間で関倦した「田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the FutureーSearch & Research」。まずステージ上のスクリーンに映し出されたのは、たくさんの棚が並んでいる会場風景の写真だ。21のプロジェクトを固ごとに紹介しているのだが、600点を超える物量に圧倒される。「設計のプロセスを紹介するのではなく、ここにあるのはアイデアやインスピレーションの源です。実際の設計作業はアイデアと試作を行ったり来たりするもので、整理されたプロセス通りには進みません。断片的な素材を提示することで設計のダイナミズムを伝えると共に、見る人の想像力を限定しないで想像が広がるようにしたかった。あえて言葉を最小限に留めているのもそのためです」と田根氏 。中庭も展示場として開放したことについて「建築は環境にさらされるもの。だからこそ屋外では外部でも耐えられる素材や濡らしたくないものはアクリル什器で覆うことで青空の下で作品を見て欲しかった」と話す。展示タイトルの副題「Search & Research」が示す通り、場所の記憶を頼りに多角的にそこにあるべく建築を探るアプローチが伝わってきた。

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次に東京オペラシティアートギャラリーで開催した「田根 剛|未来の記憶 Archaeology of the FutureーDigging & Building」を紹介。記憶と発掘をテーマとした展示会場では、1000枚を超える画像で埋め尽くされている。「シンボル」「インパクト」「幻想」といった12のテーマで、記憶と何かを捉えようとする試みだ。

「これから先自分たちが何をやっていこうか。未来の記憶とはどういうことなのかを投げかけた部屋です。記憶とは文明文化が捉えようとしても捉えられない、明確に語れないもの。けれども記憶こそ未来につながる原動になり得るのではないかと思ってこの空間を作りました」と解説する。さらに10年間かけて設計したエストニア国立博物館の映像を2つの巨大スクリーンに投影し、占領時代と独立後、夏と冬など、対比によって二面性を表現する展示やこれまでの7つの代表作の巨大模型とそれに関連する素材やスタディを並列させ、ひとつの建築ができあがるまでの思考をたどることができる。展示には 、関係がありそうなものもあれば直接関係のなさそうなものもある。それがつながることによって一つの建築が出来上がっていることが見えてくる。2つの会場の展示を通して、建築は記憶を通じていかに未来をつくりうるかという田根氏の挑戦と思いの深さを知ることができた。


第2部プレゼンテーション

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脳科学者の中野信子が登壇し、田根氏とのクロストークが行われた。今回のイベントにあたり、「建築について語り合うというよりも記憶という大きいテーマを語りたかった。人類のテーマであり、情報が溢れる中で記憶こそ強い情報なのではないかと思う。国際感覚もあり、広い知見を持つ中野さんに聞いてみたいことがたくさんあるのです」と、やや興奮気味に語る。田根氏が新国立競技場国際コンクールで「古墳スタジアム」を発表した時にその素晴らしさに感銘を受け、親交を深めているという中野氏。脳科学者の立場から次のように語った。「実は記憶というのは脳のどこにあるのか今もわかっていません。新しい情報とはそれを知らなかった時と知った時の差分にあり、システムそのものが記憶と言える。それを田根さんは直感的にわかっていて作品に反映されている。今回出版された著書を読んでも、言葉の中にそうしたポイントが反映されていると思いました」。

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田根氏は「脳の中に記憶がたまっているわけではないのでしょうか」と中野氏に問いかけると「実は2017年に、海馬から大脳皮質への記憶の転送の新しい仕組みが発表されました。この研究によって、エピソード記憶の形成と想起は、脳内の少なくとも三つの部位、海馬、前頭前皮質、扁桃体にできる記憶のエングラム細胞の状態とこれらのダイナミックな相互作用によっていることがわかりました。記憶というのは過去のことだと思われていたのですが、実は未来とリンクしているのです」と回答。それを受けて田根氏は「エストニア国立博物館を設計しながら、過去を掘り返して記憶とは何かと向き合っている時に、記憶こそが未来に向かう原動力なんじゃないかとガラリと考え方が変わりました。必要とされている未来を考えることが記憶なのではないか」と続けた。中野氏は大きく頷きながら「つい1年前に理研から発表された研究を田根さんは直感的にわかっていたということですね。明日何しようと決める予定の記憶や10年後こうなっていたいという展望的記憶というのは自分の行動を自分でデザインできる。それは行動を決めていく思考のアーキテクチャーと言えるでしょう。その脳の働きが人間と他の動物とは違うところ。未来のことを考えるのは人間にのみ備わった能力なのです」と同調した。

次に田根氏は「感情が記憶に直結しているのではないかと感じています。心理こそ記憶に近いのではないでしょうか」という疑問を中野氏にぶつけると「その通りです。私たちの心は心臓にあるとよく言われますが、心は脳にあります。海馬と感情の回路がオーバーラップして記憶よって感情が喚起されます。その結びつきは性差があって女性の方が強い。よく夫婦喧嘩で妻が昔のことを蒸し返す場面があると思いますが感情と記憶の回路がより密接に結びついているため、昔感じた嫌な感情が呼び覚まされるのです。ですから夫に勝ち目はありません」と答え、「過去のことに触れられる前に男は謝った方がいいのですね」と田根氏が答えると会場は笑いに包まれた。

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中野氏によれば、私たちは場所に愛着を持ち、特別な感情を呼び覚ますのだという。さらに特別な人といった場所に愛着を持つ傾向があり、これは生存戦略に組み込まれた仕組みで長くいることができた場所や敵にならない人といる安全な場所に対して、愛着心や愛国心 、そして郷愁が湧き上がるのだそうだ。

中野氏は田根氏に認知に近い場所を設計する時にどんなことを考えているのかと質問すると、「自分は場所のことしか考えていなくて、ひとは場所に愛着を持っているように感じる。僕は都市自体に空間が増えたことが影響していると思っていて、人は空間に愛着を持ちにくいのではないかと考えています。著書の中では意識的に空間という言葉を使わなかった。空間とは近代の発明であり、場所に関係のない建物を量産することで空間を成り立たせた。その結果、場所は失われてしまったのではないでしょうか」と語り、経済合理性や政治や権力から離れた自立したものとしての建築の在り方を探っていると語った。

中野氏は田根氏の著書の序文「古代は権力の象徴として中世は宗教の啓蒙として近世は産業の開拓として近代は資本の投下として現代は情報の蓄積として建築が時代をつくり、時代は建築によって未来を予感させる」という一節を読み上げ、建築がつくられる原動力に焦点を当てているのが印象的だったと話す。マルコ・ポーロの大陸横断以降、人間がより遠くへ移動できる手段を持ったことで新規探索性が喚起され、そうした要因により建築の原動力も変化したと田根氏は指摘。産業革命以降、資本や情報が建築の原動力になっていたことを振り返りつつ、今着目しているのは中世だと語った。「中世の街は記憶によって都市がつくられている。人間に移動手段がなかった分、森も海も未知なる深度を感じ取っていたはず。ヨーロッパ、そして日本の中世の建築にすごく暖かみを感じるのは、記憶によってつくられた街だからなのではないか。中世の建築を見ていると場所から未来が始まっていることがよくわかる」と続けた。さらに昨今の異常気象や温暖化の状況を見ていると、古代と同じくらい環境に向き合わなければならない時代に直面していると田根氏は危惧する。建築がエネルギーを減らし、そしてどうやって沈めていくのか。化石燃料をどれだけ使わないかといったことを「古墳スタジアム」や「Todoroki House inValley」といった建築で提案していることを明かすと、中野氏は科学の世界でも同じようなパラダイムシフトが進んでいることを語りながら、「田根さんがつくるのは未来を見据えた建築であり、記憶によって未来をつくっていくことを実証されていることがよくわかりました」と統括し、クロストークは幕を閉じた。

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右:『TSUYOSHI TANE Archaeology of the Future―田根剛建築作品集
未来の記憶』
中央:『TSUYOSHI TANE Archaeology of the Future』
左:『田根剛 アーキオロジーからアーキテクチャーヘ』

場所の記憶とは何かを自問しながら日々建築に向き合っている田根氏。脳科学の第一人者である中野氏を前に、聴講者がいることも忘れたかのように「記憶とは何か」について夢中で質問する姿は、水を得た魚のように生き生きとしてとても印象的だった。2つの展覧会、そして2冊の著書に加え今回のトークイベントによって田根氏の思考の一旦が垣間見えたのではないだろうか。未来の記憶を手繰り寄せながらどんな建築を生み出していくのか、今後も田根氏の活動から目が離せない。

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